恐怖!全体主義への道

先日、知り合いに誘われて

『「学問・言論・報道の自由」を圧殺する全体主義の正体』

というシンポジウムに参加してきました。

今、日本を含む世界は、急速に「全体主義」へと移行しようとしている

というのがテーマだったんですけれども、

いちいちごもっともとうなずくばかりの2時間半でした。

相当やばいです、全体主義。

ただ、それをどうしたら食い止められるのか?

というと、

あまりにも事が大きすぎて、

変化の流れが速すぎて、どうしようもない。

ある種の絶望感を感じています、僕は。

でもね

投げやりになっている訳でもありません。

できることをやる。

そして、まだまだできることは、ある。

そこはブレずに、行動し続けたいと思っています。

さて、シンポジウムで語られた「全体主義」の一つが、

「ワクチンの強制接種」

です。

パネラーの一人・小山常美先生は、

安全性が十分に確認できていないコロナワクチンを

政府が強力に押し進めようとするのを見て

『「死を他人から押し付けられるか?自分で選ぶか?」の選択』

と受け止めたと語っていました。

つまり、生命・身体の自由を奪われていると。

全く同感です。

「生命の自己決定権」は、人間としての尊厳でもあります。

僕は、ワクチンの安全性に対する疑問を最初から抱き続けていて、自分のLINE公式アカウントで春から初夏にかけて、ワクチンに関するバランスの取れた、識者による情報を毎日発信していました。

ところが、ワクチンに懐疑的な言論は権力者によって「デマだ」の一言で一蹴され、あっという間に国民の過半数がワクチンを打ってしまいました。

僕はこのスピード感に、驚きを禁じ得ませんでした。

誤解のないように添えておきますと、僕はワクチンを全面否定している訳ではありません。

本人が自ら考えて選択するのであれば、ワクチンを打てば良いと思います。

でも、「ワクチンを打たない自由」も認めてもらいたい。

どこかから

「ワクチンを打たない自由も認められてるでしょ?」

という声が聞こえてきそうです。

しかし、残念ながら今の日本において

「私はワクチンを打ちません」

と宣言するには大変な勇気を必要とする場所が、数多く存在します。

同調圧力

全体主義に向かう道の真っ只中に、僕らはいるのではないでしょうか?

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