昔から
「空気が読めないやつ」
と言われてきました。
だから僕は
必死に空気を読む努力をして、
どうにか社会に溶け込める大人になれました。
でもね。
本質的には人間、そう簡単に変わるものではありません。
「三つ子の魂百まで」
とはよく言ったものだと、深く感じ入る53歳であります。
(三つ子は三人兄弟ではなくて、三歳児のことですよ、老婆心ながら)
社会適応能力は相当身につけたと自負していましたが、
この歳になって思いがけない事態に遭遇しております。
思いがけない事態とは・・・
そうです。
マスクです。
僕は
社会に適応するべく・・・
それこそ必死になって・・・
街へ出たら
電車に乗ったら
エレベータに乗ったら
お店に入ったら
その都度マスクをつける努力を重ねました。
・・・しかし
・・・・・・
どうにも不快感が限界を超えてしまい・・・
ついに僕は
最近になって
「マスクを着用しない」
という決意をするに至ったのであります。
理由は3つあります。
1つ。
マスクにはコロナウィルス感染防止効果がきわめて低いこと
2つ。
街に出ると、誰もがマスクをつけている様子を見て気分が悪くなること
3つ。
自分自身、具合が悪いわけでもないのにマスク着用していると気分が悪くなること
「周囲に合わせないことの気分の悪さ」と「マスクを着用することの気分の悪さ」、どちらを取るか?
僕にとっては、昭和の終わりに流行した、あの『究極の選択』に等しい冗談のような現実でした。
(『究極の選択』=「うんこ味のカレーとカレー味のうんこ、食べるならどっち?」的なヤツ)
周囲に合わせたい気持ちはあるけれども、
それ以上に僕は自分に正直でありたい。
僕が納得できる材料があれば、
進んでマスク着用しますよ。
でも、
今、
マスク着用を迫るのは、
マスメディアや
行政や
街のポスターや
アナウンス
そして大勢のマスクしてる人々の存在
なんです。
その圧倒的な情報量・物量はまさに同調圧力以外の何者でもありません。
同調圧力には屈したくないのです。
小心者ではありますが、
こればっかりは譲れません。
たかがマスク。
されどマスク。
上の決意をしたことで、一つ肩の荷が下りました。
心の深呼吸ができるようになりました。
肩の荷を下ろしたい人は、僕だけでしょうか?
共感いただける方は、コメントください。
理不尽な同調圧力に一緒に立ち向かいましょう!